私は仕事で文章を書くことが多い。別にコピーライターというわけではないが、文章を書くのは好きなので任されることが多いのだろう。そんな私にはいくつかあこがれの文章、表現があります。こんな文章が書けるようになりたいなというものです。
その一つにニューヨークのサンという新聞の論説があります。ある時、8歳のバージニアちゃんという女の子から「しんぶんのおじさんわたしのともだちはサンタクロースなんていないっていうけど、ほんとうはいるんですか?」という質問が届きます。そもそも新聞の社説でこの質問に答えるということがすごいですが・・その文章表現がまた秀逸です。
こちらがその文章です。
「ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、ぜんぶがわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、愛もサンタクロースも、ぼくらにかがやきをあたえてくれる。
もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。
サンタクロースがいなかったら、むじゃきな子どもの心も、詩をたのしむ心も、人を好きって思う心も、ぜんぶなくなってしまう。みんな、何を見たっておもしろくなくなるだろうし、世界をたのしくしてくれる子どもたちの笑顔も、きえてなくなってしまうだろう。
サンタクロースが来なかったとしても、なんにもかわらない。だってサンタクロースは見た人なんていないし、サンタクロースがいないっていうしょうこもないんだから。
だいじなことは、だれも見た人がいないってこと。ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見た人っているかな? うん、いないよね、でも、いないってしょうこもない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、ほんとうのところは、だれにもわからないんだ。」(一部省略)
こんな文章が書けるようになりたいと日々精進しています。