誰かが見ている

日本人は無宗教の人が多いと言われます。実際に信仰がありますか?という質問をすれば特にありませんという人は少なくないでしょう。しかし、お正月にはあれほどの人が神社に行って初詣をし、食事の前には多くの人が手を合わせて「いただきます」と口にします。これは日本人が持っている信仰の一つなのではないでしょうか。

私は中国にしばらくの間住んでいたことがあります。そこで、大局観が身についたと考えています。合わせて日本のことがますます好きになりました。中国に限ったことではありませんが、世界的にみれば日本の考え方は少し特殊だということはよくあります。その一つに、上司や管理者が見ているいないにかかわらず日本人は手を抜かないということがあります。上司、つまり評価者が見ていないのなら、もっと言えばだれも見てないのなら少し手を抜いたりズルをしても評価が下がることはありません。でも、なぜ日本人は手を抜かないのでしょう?

日本人の根底にはこんな考え方があります。「誰も見ていなくても、おてんとうさまは見ている」・・そう神様はいつだって自分のことを見ている。だから悪いことをしたりズルをしたりすると誰も見てなくても罰が当たると。合理的ではないのかもしれませんが、私は本当にこの考え方が大好きです。上司がマネージメントしている時間なんて全体の中ではほんのわずかです。それ以外の時間でずるをしようという考えがあればいくらでもできるからです。でも、おてんとうさまは見ている・・これはおてんとうさまではなく、心の中の自分が見ているという意味なんでしょうね。だから手を抜かずに努力する。

世界的に見て日本人が勤勉だと言われる理由の一つなのではないでしょうか。古臭いと言われるかもしれませんが、エージェントゲートでも一人一人の心の中にもう一人の自分を作って常に見つめなおしていきたいものです。

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