ボランティアがもたらす満足感の弊害

私は社会的な課題を解決しながら儲けるということを人生のテーマにしています。つまり、よいことをして儲けるということです。もし、よいことをしている人が誰よりも儲かる社会が実現すれば・・多くの経営者や若者が「儲けて金持ちになりたい!!」「金持ちになって、いいところに住んでいい車に乗って、美味しいものが食べたい!!」それにはどうすればよいのだろうと考えたとき「そうか、いいことすれば儲かるんだ」となります。そうなれば、先を争うように皆がよいことをするようになるのではないか?そうなれば社会はよい方向に進むのではないか?というのが私の考えだからです。

なので、いろいろなボランティアをしている人を見たときに、頑張っているな、この活動をもっともっと社会の人に知ってもらって、いまはお金がもらえないのかもしれないけど・・いつかお金ももらえるようなサスティナブルな活動になるといいな。と思うのです。先日、新宿の駅前(アルタの前の広場)であるバンドが難病で苦しんでいる少女のためにチャリティーライブをやっていました。通りがかると、ボランティアの女性がチラシを配っていました。私はまさにこういった人にものを伝える文章やデザインの仕事をしています。ぱっと見てそのチラシは正直いけていませんでした。もっとこうしたら多くの人に思いが伝わりますよ・・・とアドバイスをしたところ、その女性から「あなたに何がわかるんだ。こちらは無償でお手伝いをしていて、そんなことを言われる筋合いはない」というようなことを言われてしまいました。

その一週間後ぐらいでしょうか、同じところを歩いているとビールメーカーさんが新商品の試飲をしていました。スタッフの方は試飲をしてくれた人に「いかがですか?」「味は苦く感じますか?フルーティーですか?」というような質問をしていました。私も好き勝手に感想をはなしていると、スタッフの方は「そうですか、なるほど。」と言いながら一生懸命メモを取っていました。私はその姿を見たときに・・・企業は一生懸命ユーザーの声に耳を傾けながら、少しでもサービスの品質を改善しようと努力をしている。なぜ、ボランティアはそれができないのだろう?いいことをしている活動こそ、もっともっと伝え方に工夫をして多くの人に知ってもらうべきなのに、と感じてしまったのです。

ボランティアであるがゆえに、こんなにいいことをしているのだからきっと社会はそれを受け入れてくれるに違いない。という傲慢があるのではないかと気づかされた気がしました。よいことをしているからこそ、より謙虚に人の声に耳を傾けて、どうすればもっと人に伝わるのかを検討する気持ちがいるんですね。

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