それぞれの姿が正解

陰陽師という映画があります。その映画の一節で主人公である安倍晴明はこんなセリフを言います。「呪(しゅ)とはものを縛ること。そしてこの世の中で最も身近にある呪は名前」だと。人にはそれぞれ名前があります。その名前が人を縛るのです。

それだけではなく山、川、木、草、虫などすべてのものが「名」という呪で縛られているというのです。さらに言えば目に見えないものまで、例えば、男性が女性をいとしいと思い。女性が男性をいとしいと思うこと、それには「恋」という名前がついています。そのすべての名前に人間は縛られるのです。「父」とはこういうものである。きっとこうでなくてはならない。「母」とは「男」とは「女」とは・・・それぞれの頭にある理想が鎖となり人の心を縛り付けます。

肩書も同じです。社長とは取締役とは部長とは。それぞれに理想があり、人はその理想を求めてきます。しかし、エージェントゲートではなんとか社長を筆頭に全社員をその縛りから少しでも解放できないかと考えています。それぞれに理想とする経営者像や新卒社員像はあっても構いません。しかし、その像の向こうに本人を見るのではなく、まずは本人を見てもらいたいのです。その人の持つ個性と特徴。その個性が輝く場所。それぞれの今の姿を正解として前に進めないものでしょうか?

統計を取ればどんな社長だと会社は成功しやすい、利益が出やすいという分析は可能だと思います。しかし、その分析に何の意味があるのでしょう。私はそんな成功しやすい社長ではなく今の社長と今のメンバーで必ず成功したい。そう思うのです。「名」という呪いから解放されて、それぞれが正解だと皆に言いたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です